『レディ・プレイヤーワン』 フィクションに費やした人生への赦しの物語
ちょっと!!!!!
『レディ・プレイヤーワン』見た!?!?!?!?
君の趣味は?
君はオタクか?
アニメやゲームは好きか?
フィクションのキャラクターで自慰をしたことはあるか?
会社の人間や友人の肉体に(性的な意味ではなく)興味はあるか? ないだろ?
そういう人間はとかく生きづらい。
一時期に比べればだいぶマシだが俺たちにとっては生きづらい世の中だ。
社会というのは労働をし、人間と愛を交わし、子供を産み育てることを強いる!!!
そしてそれこそが人間の唯一絶対に喜びをえる営みというやつだと強烈に押し付けて来やがる!!!!
死ね!!!!!!
違う!
俺たちは、1秒でも仕事がしたくねえし一日中家でゲームしててえしフィクションのキャラクターとえっちしたいんじゃボケが!!!!!
そんな、そんな社会の落伍者だろう、このブログを見ている君たちは。
「こいつはなにを言ってるんだ……」
と思う奴は帰れ!!!!! yahoo!でも見てろ!!!!
本作『レディ・プレイヤーワン』は一見オタクが好きな作品を寄せ集めにしたパロディ満載の映画に見えるだろう。
原作ではミネルバXやレオパルドンも出るらしい。俺は読んでないが……。
だが『レディ・プレイヤーワン』はただのパロディ映画じゃない。もちろん笑えるパロディはしっかり仕込まれている。
ネタバレになるが『シャイニング』のパロシーンでは映画館のそこかしこで笑いが起きていた……。
でもな、違う、違うんだよ。
『レディ・プレイヤーワン』はそういうスナック的に消費する映画ではなかった。
この作品はなんだ?
この作品が俺たちに伝えるのは"赦し"だ。
俺たちはいままで社会の落伍者である自覚を持ち、それでも折り合いをつけて生きてきた。
俺たちが触れてきたフィクションは素晴らしいものばかりで、俺は多くのフィクションから道徳や人間として生きるというのはどういうことかを学んできた……。
俺に取って人生の指標になるのは道徳の授業で読んだ内容じゃねえ。俺が人生を学んだのは『ジョジョの奇妙な冒険』だ。
新しめの作品だが俺の人生の目標は『スティール・ボール・ラン』だ。
俺はジョニィやジャイロのように生きたいと思う。
『レディ・プレイヤーワン』が語る真実はフィクションだのリアルだのという垣根はくだらねえということだ。
なぜか?
フィクションが作り作られ読み消費することはリアルだからだ。
君は『プロレススーパースター列伝』を読んだことはあるか?
俺はある。
俺にとってプロレスブームは未知の世界だ。
プロレスをきちんとテレビで見たことはねえ。
でも『プロレススーパースター列伝』はおもしれえ。
ウソもたくさん書いてあるだろう。でも俺にとって『プロレススーパースター列伝』に書いてあることがウソとかホントとかは関係ないんだ。
なぜか?
俺にとってプロレスブームはフィクションと同じだからだ。
俺にとって『プロレススーパースター列伝』と『キン肉マン』を読むことにその意識に差はねえ。
俺は映画の宣伝で「これは、真実の物語」と語ることほどくだらんものは無いと思ってる。
それが本当にあったことだとかウソだっただとかはその物語を消費する俺には関係ないからだ。
君は織田信長が本能寺で焼けて死んだと知っているだろうが実際にその現場を見たことはあるのか?
見たことがないならフィクションと同じではないか?
つまり……すべてはリアルだとかフィクションだとかとかは関係なく大事なのは「なにを得たか」なんだ!
俺たちがゲームを上手くなりたいとおもうのはなぜか?
俺はなぜ格闘ゲームのコンボを練習する?
格闘ゲームのコンボが上手くなっても隣の部屋に住んでるやつに殴りかかって、喧嘩に勝てるとは限らないというのに!!
でも格闘ゲームのコンボが上手くなったらアメリカにいるおっさんを負かして悔しがられることができるかもしれねえ。
成功体験!
そう、俺たちはフィクションを通じてあらゆる成功をしてきた……。
アレフガルドも救った。アイドルはトップアイドルにしてみせたしティターンズは地球圏を統一したよ!
俺たちは会社の上司より圧倒的にあらゆる体験と学びを得ている!!!! フィクションの世界でだ。
つまり……つまりなにが言いたいかというと俺たちはフィクションによって学び、鍛えられ、成長してきたじゃないかということで、『レディ・プレイヤーワン』はそうした俺たちの人生を赦し、認めてくれる物語だった……。最後に残るのは俺たちナードだと。
それは何故か? 世界はバーチャルに包まれるからだ。
もはや現実の世界は飽和した。
これからはバーチャルの時代だ。
バーチャルの世界では国境もクソもねえ。
お前が日本人だとか男だとか女だとかは関係ねえ。ぜなら……バーチャルの世界には文字通り国境がねえし、リアルもフィクションもねえからだ。
だが、だがバーチャルの世界ではリアルとフィクションの垣根がなくなった結果、フィクションを嗜んできたものが強くなる。それは人生の成功体験をたくさん積んでいるから……。
しょせんリアルという薄いレイヤーに軸足を置いていた人間では俺たちフィクションの世界を幾重にも渡ってきた人間には勝てぬ、勝てぬのだ……。
バーチャルの世界では……制限はあるだろうが……なんでもできる。
姿も変えられるし声も好きなものが使える。
バーチャルユーチューバーを見たか。
彼らは肉体から解放されて思い思いの姿でいるだろう。
ではそうした自由な空間で、死ぬほど追い詰められたとき。
今やらねば、やらなければすべてが悪い方向に転がってしまうかもしれない。でもいま頑張ればすべて救われる……!
そんな一世一代の大舞台で好きなもので、好きな姿で戦っていいとしたら!!!
君はどんな姿を選ぶんだ!?!?
スクリーンの中の男はこういった。
「俺はガンダムで行く」と…………!!
それを劇場で見た瞬間、俺は本当に椅子から滑り落ちてしまうかと思った。
ここで、この状況で、いや、ここだから「ガンダム」なのか!!!!
バーチャルに国境はないと言った。
いまこの世界で、俺は日本人、お前はアメリカ人、というのは馬鹿馬鹿しい。
でも魂はどうだ? 人間、いざとなったらいざという時は故郷のことを、魂の奥底にある自分の根源を思い出すだろう。
『レディ・プレイヤーワン』は吹き替えにも力を入れている。
俺も最近はもっぱら吹き替え派だ。
文字を追うのがダルくてね……。
でも『レディ・プレイヤーワン』は字幕で見て欲しい。
そして……そして、俺たちと同じ国の血を引く戦士が叫ぶ瞬間を目にして欲しい。
「俺はガンダムで行く」
と。
俺は椅子から落ちようとするのに必死で耐え、顔面から水分を吐き出した。
ガンダムが戦う雄姿に思わず合掌してしまった。
戦闘シーンがかっこいいから?
シチュエーションが激アツだから?
違ぇ!!!!
彼が、日本人の彼が本当に人生これっきりもう後はないぞという完全に切羽詰まった状況で最後に縋った、心の拠り所に選んだのがガンダムだったからだ!!!!!
そこで「ガンダム」なのか!!!!!!
と俺は感銘を受けた。
強いからとかじゃねえ、彼にとってきっとガンダムは特別なんだ!!!
伏線もなにもねえ、映画ではそのシーンまでカケラも出てこねえ!
でも俺は彼の
「俺はガンダムで行く」
だけで充分だった! あいつの心の一番根っこには多分ガンダムがいるんだと理解できた!
俺はあのシーンは映画を見るまでファンサービスのギャグシーンだと思ってた。
「じゃあ俺はレーザーウェーブにしようかなw」とかヘラヘラしてた。
でも今は胸を張って言えるぜ……。
「俺はバーザムで行く」
と。
「ガンダムじゃねーのかよ」と思うかもしれないが俺は彼じゃないからな。
俺は本当に切羽詰まったときにバーザムのことを思うだろう。それ以外のことを考えるにはあまりにバーザムに費やした人生だった。
君はそういうときに思い浮かぶ対象があるか?
それを考えさせられる映画が『レディ・プレイヤーワン』だ。
自分の中心になにがあるのか、自分は何で戦えるのか、自分は何にリスペクトを寄せているのか……。
『レディ・プレイヤーワン』を見て、己の人生を省みて、そして一緒に考えましょう。
君にとっての「ガンダム」がなんなのかを……。
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