『ガンダムNT』ちゃんと具を載せたサッポロ一番みたいな満腹感の快作

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ガンダムNT』、フラットな気持ちで見たいので土曜朝イチで見てきました。

結論としてはめちゃくちゃ良かった!

正直最近ガンダムに対してかなりイヤイヤ期が来てて今作についてもあまり期待してなかったんですよ。「見ないことには意見も言えんから早めに見るか」くらいの、オタクとしては最悪な気持ちで見に行ったんですが見てみると不満や疑問に思っていたことがことごとく氷解していって気持ちいいアニメでした。

 

以下雑感。

私の前提として『ガンダムUC』は原作、アニメ共に本編摂取済み。

いっぽうで本作の原案である『不死鳥狩り』については未読で概要しか知らないという感じです。

 

●テンポが良い

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本作で特に褒めておかなければならない点としてテンポの良さが挙げられるでしょう。

ガンダムUC』を引き継いだ作品とは言え登場人物のほとんどは新キャラクター。彼らの紹介も兼ねた描写もいろいろ挟まってしかるべきなのですが……意外と説明説明した説明は最小限だったりします。

回想シーンがちょくちょくザッピングされ、多少乱暴ながらも各キャラクターについては「はい! この子はこういうキャラでこういうポジションなんですよ。わかりましたね? じゃあ次のシーンに行こう!」とサクサク物語が進みます。

 

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そのテンポの良さに一役買っているのが袖付きの残党として登場する、本作のメインヴィランとも言えるゾルタン。

キャラクターとしては典型的なヒャハハハサイコパスキャラで、ともすれば薄っぺらなキャラクターで見てて恥ずかしくなってしまうようなこともある、使い方が難しいキャラクターです。

が、本作はこのゾルタンを狂言回しの権化として用いることでこの問題を回避することに成功しました。

 

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とにかくゾルタンがなにかやらかしてくれるおかげでお話がポンポンポンととにかくテンポ良く進んでくれるのです。まるで横から手拍子をしてくるかのように本作の進行をガシガシ促してくれる名脇役。そのため視聴者にとっても段々「こいつのおかげで話がダラダラしてない!」「こいつのおかげでモビルスーツ戦が始まってくれる!」という希望の象徴として光り輝き始め、結果として好感度が高い位置で留まるというおもしろいキャラクターです。

ちょっと性格的には違うのですが、キャラクター配置としては『Zガンダム』のヤザン・ゲーブル、『仮面ライダー龍騎』の浅倉威などに近いような気がしました。

キラキラした希望を胸に抱く主人公たちにまったく迎合しないまま自分のやりたいことをやって退場する姿も潔い。悪い奴は悪い奴のまま死ぬ! このシンプルさがゾルタンを名脇役として輝かせています。きっとそのうちスパロボでも我々を楽しませてくれるでしょう。いい悪役だったぞゾルタン!

 

宇宙世紀ガジェットでの遊び方がうまい

ガンダムUC』でも顕著でしたが、本作も「宇宙世紀のいろんな要素で遊んだろう」という要素がうまいです。

と、いうよりアニメ版の『ガンダムUC』ではエピソードが進むごとに鳴りを潜めていた「ちょっとオタクが喜ぶ要素拾って遊んだろっかな」というイタズラ要素が、より強く出ている気がします。むしろ原作版『UC』に近いかもしれない。原作読んで「ブッホ」や「フランチェスカ」で喜んじゃったオタク! 出番だぞ!

 

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本作で重要な役割を果たすのが「ルオ商会」。『ガンダムUC』でアナハイムについてのネタをやり尽くしたから次はこいつら! と言わんばかりに「なぜルオ商会はすごいのか」「ルオ商会は金がある」とガンガン出していきます。その活躍度合いは『ジョジョ』のスピードワゴン財団に匹敵すると言っても過言ではありません。

 

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発表されるや否や「散々引っ張っておいてまたこいつかよ」「袖付きは残党のくせに金がありすぎる」と散々不興を買ったⅡネオ・ジオングについてもルオ商会が手を回したという理由付けで黙らされてしまいます。じゃあ仕方ないよな。ルオ商会お金あるもんな。

 

そのほか、原作版では袖付きのフィクサー、影の黒幕だったモナハン・バハロ*1の登場。新作プラモデル発売以降、急激にオファーが増したディジェの大活躍。宇宙世紀世界の根幹として機能するエネルギー資源ながら、物語上ではほぼ登場しなった「ヘリウム3」が舞台装置として効果的に働くなど、「オタクが喜ぶ要素で」「遊んじゃおう」という気持ちが各所に散りばめられていて気持ちいい。

 

この手のネタの拾い方はあからさますぎると辟易するものですが、個人的には本作のバランス感覚は好きです*2

 

●短い時間に自己解釈もちゃんと入ってる

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ちょっと話がズレるのですが、最近改めて『Gガンダム』はよくできてるなあと感じています。

ガンダムという作品が原初から持つ「宇宙に人類が進出したら宇宙と地球で争いが起こるんじゃないか」「人と人は分かり合えることができるのか」というテーマを、キチンと再解釈してまとめ上げているからです。

「宇宙と地球の対立」は「宇宙に住む富裕層の娯楽として地球に残った貧しい人々が迷惑している」という形で描かれてますし、「宇宙に進出して新たな感覚が開いたニュータイプたちによる対話」は「格闘家同士による拳での語り合い」という形に再構成されています。

Gガンダム』は何かと「スト2ブームから生まれた異色作」という評を下されがちですが、そろそろもっと「Gガンは初代ガンダムをめちゃめちゃちゃんとよく噛んで消化したらすげえいい形のウンコが出た名作!!!」みたいに声をでかくしていかないといけないなあと思います。そうだろ?

 

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さて話が戻って『ガンダムNT』ですが、本作もテーマを「ニュータイプとは」に絞って、短い上映時間の中で本作なりの解釈を示してくれます。

過去の宇宙世紀ガンダムでは「新たな感覚を芽吹かせたニュータイプの本懐は対話である」というニュータイプからの目線と、「ニュータイプは鋭敏な感覚と強力なサイコミュ兵器を操ることができる超人である」というオールドタイプからの目線のすれ違いがたびたび提示されました。

 

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本作では、そこにさらに「ニュータイプとは死や時間を超越できる存在なのではないか」という新たなオールドタイプからの目線が加えられます。これは過去作での「ニュータイプは死者と会話したり、死者の力を借りることができる」という描写を膨らませることで産まれた価値観でしょう。

この目線に、「ニュータイプの力を爆発的に増すことが可能な上、サイコフレームを介してパイロットを取り込むことまでしてみせたユニコーンガンダム」という要素が加わることで「ユニコーンガンダムを捕獲してラプラス事件を再現・解析することができれば死者との対話が可能になる」「死者とコミュニケーションを取ることができるのならば、死は恐れるものではなくなる」「信仰の中でしか見出せなかった"天国"を現実のものにすることができる」というオールドタイプの着想が生まれ、本作の骨子となっていきます。

 

ニュータイプは超人では無い

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いや、正直この発想は舌を巻いてしまいました。いままで散々ガンダム見てきたのに「ニュータイプが死者と会話したり死者に力を借りるのはまぁ半分演出、半分オカルトみたいなやつでしょ……」としか思ってなかったのです。アムロララァの刻が見える会話は、なんかすごい奴ら同士が極限状態でエモくなってる程度にしか思えていなかったのです。

私だけか? みんな意外とそう思ってたのか?

私、なんだかんだガンダムのこと考えるとき「バイアランビームサーベルが爪で持ちやすい形になってて偉いなあ」とかしか考えてないからね……。人間のこと何も考えてなかったわ。

そんなところに本作で「あの演出は宇宙世紀の科学力で解決できる要素かもしれない!」という視点をぶつけられて正直膝を打ちました。いや、すまん。打ってない。映画館で膝を打ったら怒られるからな……。気持ちだけ打った。

もう掘りつくされたと思っていたニュータイプ云々カンヌンにこうした新しい視点が生まれたことを嬉しく思いますし、この解釈だけでも本作には花丸をあげたい。

 

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そんな風に感心している視聴者にゾルタンは吐きかけるように言います。「オールドタイプが理解できるのは現象だけ」と。

そう、いくらわかったつもりになっても我々オールドタイプに取ってニュータイプとは「なんかファンネルを飛ばせるしコロニーレーザーを跳ね返すこともできるすごい人たち」としか思えないのです。

 

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けど、だからこそナラティブガンダムが立つのかもしれません。我々はナラティブガンダムが戦う『ガンダムNT』を介して90分で、ざっくりと「ニュータイプとはなにか」「オールドタイプには何ができるのか」を体験して、このように語ってしまうわけです。

最初は「ちょっと前に流行った言葉をガンダムに冠するの恥ずかしいからやめてよ!」と思ってたんだけど……いや、ごめん。ナラティブ味わってしまったわ。

 

そしてナラティブガンダムを通してニュータイプに関しての新たな事実が判明します。「ニュータイプは伝搬する」と。一聴すると滑稽に思える説明かもしれませんが、「ニュータイプエスパーではなく、宇宙に適応して感覚が芽吹いただけのただの人だ」と解釈するのであればなにも不思議なことではありません。

なにも知識がない人が能や落語を見ても勘所がわからないけど、やさしく解説してくれる人がそばにあれば理解することができます。泳げない人でも水泳を教える名人に師事を仰げば泳げるようになります。ニュータイプは特別な存在ではなく、あくまで既存の人類の発展系なのだという解釈を進めればこういう描写はなにもおかしいものではありません。

 

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こうした「ニュータイプは超人ではない」という解釈は、「登場人物すべてが過去作でいうところのニュータイプ相当である」と言われている『Gガンダム』や『ターンAガンダム*3、あるいは「ニュータイプなんていないんだ」と宣言した『ガンダムX』に通ずるものがあります。

 

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シャアの反乱でアクシズが地球から離れるのを目の当たりにした経験があるイアゴは、クライマックスでヨナとナラティブのピンチに駆けつけ叫びます。「俺たちにできるのはこれくらいだ」と。オールドタイプに理解できるのは現象だけ。でも、だからこそニュータイプを現実的な目線から助けることもできるし、彼らと交わり合うことで、オールドタイプはニュータイプへと花開くことができるかもしれない。

 

地球とジオンとの確執が終わりを迎えたあとも、宇宙戦国時代の到来によって地球圏から争いが絶えることはありません。でもそうした希望を紡いでいくことで、いつか人類は時間だって操ることができるかもしれない。

当初『ガンダムNT』が発表された時には「まだそのあたり掘ってお金を稼ごうっていうの!?」という絶望すら覚えたので、視聴後にこうした爽やかな希望めいたものを得ることができたのは自分でも意外に思っており、かなり嬉しく思っています。

 

●アニメ版『ガンダムUC』へのモヤモヤは消えた

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アニメ版『ガンダムUC』にてシャアとアムロララァが成仏したかのような演出に長らくモヤモヤした気持ちを味合わされました。

なんでただの器に過ぎないフロンタルに、そんな大層なものを背負わせてしまったのだろうと。

でもなんか、『ガンダムNT』見たらそのあたりのモヤモヤも霧散しました。『ガンダムUC』ファンとして嬉しいサービスもいろいろあったし、「もう宇宙世紀ガンダムはこりごりだよ!」「老人介護みたいなのやめろよ!」と思いすらしていたのですが、今は純粋に「『ガンダムNT』を通過した後での、『閃光のハサウェイ』や『ガンダムUC2』を見てみたい」とすら思ってしまっています。参ったね。またも私の人生に立ちふさがるつもりかガンダムてめー。

 

なんならここから『ガンダムF91』や『クロスボーン・ガンダム』、『Vガンダム』に繋げて宇宙世紀100年代をリブートしてくれたっていい!

なんだか楽しみになってきました。

 

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ということで『ガンダムNT』、とてもいいです。ひさびさにガンダムで早口オタクになりました。

劇場版Gレコも楽しみっスね。ほんじゃ。

 

 

 

 

 

*1:この人物自体がほとんどスポットライトが当たってこなかったダルシア・バハロの系譜として存在だけでアガる人物

*2:ただクライマックスの「私の命を使いなさい」はちょっと恥ずかしかった。直前の「サイコフレームが多い方が……」はいい温度感を覚えたので尚更……

*3:書いといてナンですがなにで読んだか忘れました。『ニュータイプ』のムックだろうか。もしただのインターネットの与太話だったらツッコミ入れてください