私は作ってません
「私たちが作りました」という表示がある。
スーパーの野菜などにくっつけられている、生産者がにこやかに野菜を持ったあの写真だ。
狙いとしては生産者の顔が見える安心感とか、この自信に満ちた顔を見てくれ、とか単純に目につくからみたいな理由で付けられているのだろう。
が、このあいだコレの変則パターンを目にした。
遠目に見て「お、私たちが作りましたパターンか」と思ったら、違う。これはただのレコメンドだ。騙された!
お前、作ってないんかい。
とはいえこれは野菜では珍しいパターンであるものの、たとえば書籍などではよく使われている手段である。本屋さんに行けば大抵の本の帯には書いた人とは関係ない人が「私がオススメします」と勝手なことを書いている。
こういう奴ね。冷静に見てみるとこれ推薦してねえな。思い出話してるだけだな。
こういう帯の効果もわかる。生産者の顔を見せた野菜と同様、視覚的効果とともに、読んだ人間に「この人が薦めるなら……」と思わせるためだろう。
が、先日この本の帯についてもものすごいものを見つけてしまったのである。
これだ。
パッと見ではよくわからないかもしれないが本の半分以上を帯が覆っている。
というかこれは帯か? ここまで行くとカバーなんじゃないのか?
そしてデカデカと配されたウメハラ。
ウメハラはこのブログを読むくらいの暇人の方なら大体知っているだろうがプロ格ゲーマーである。
詳しくはググれ。
で、これ、もう、なんですか?
ウメハラ要素、デカすぎでしょ。
これは、これはもう、アレだ。
一見ではどう見てもウメハラの書いた本にしか見えない。ウメ本だ。
帯もここまで図々しくなると「私が作りました」と区別がつかなくなってくる。
これはどう見ても「私が作りました」だろう。ウメハラがデカすぎる。
そもそもこの限られたレイアウト内でタイトルに匹敵するくらいの情報量で殴りかかってくるのは反則だ。ウメハラの当たり判定がデカすぎる。
で、Amazonのページで見てみると
ここでもウメハラなのだ。
びっくりした。
なんとなくこういうインターネット上の書影って帯を外したものを載せるものだと思っていた。
で、詳細を見てみると
畳み掛けるようにここでもウメハラ推しなのだ。
なんなんだ。
本の内容よりもとにかくウメハラがオススメしてるから買ってくれと言わんばかりなのだ。脱帽だ。
ここまで来るとだんだん「……もしかしてウメハラが書いたのか?」という気分になって来る。
「私が作りました」現象だ。
だが待って欲しい。
本当にあれらの野菜は彼ら「私が作りました」被写体が作っているのだろうか。
もしかしたら全然関係ない人に野菜を持ってもらってるだけなんじゃないだろうか。
銀座のシェフは本当はこのニンニクを使ったことがないんじゃないだろうか。
ぜんぜん関係ないけど昨日頭の中で赤毛のアンとアンネ・フランクがごっちゃになって恥をかきました。